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反相関主義の先で、どこまで存在論を置けるか

Exploration v0.1 · 2026-08-09

Question: 人間の認識から独立した実在を認めることは、その実在の基本構造について積極的な形而上学を採用することまで正当化するのか。

1. 反人間中心主義には同意できる

Object-Oriented OntologyやMeillassouxの相関主義批判が重要なのは、人間と世界の相関だけを哲学の最終地平にしない点にある。人間以前の宇宙、人間に観測されない過程、他の主体や対象同士の関係を実在的なものとして扱うことは、現代科学の実践とも相性がよい。

2. しかし「実在がある」から「実在はこういう構造だ」までは遠い

OOO、とりわけHarmanは、対象が関係によって尽くされず、実在的対象にはwithdrawする側面があるという積極的存在論を提示する。ここでの留保は、それが物質主義だからではない。むしろ、objecthoodやwithdrawalを実在の基本構造として置く認識的資格はどこから来るのかという問いである。

同様に、Meillassouxの反相関主義から「偶然性の必然性」という強い絶対命題まで進むことにも、追加の論証が必要である。

3. このサイトの順序

ここでは順序を次のように置く。

後ろへ進むほど、現在の認識に依存した推論の厚みが増える。したがって物理主義を非常に強く信じても、それを認識論的最小基礎と同一視しない。

4. 「薄い実在論」という自己位置づけ

この立場は、世界を人間の言語や認識へ還元しないという意味で反相関主義的である。しかし、相関主義を越えた空白をただちに特定のobject-metaphysicsで埋めることもしない。

OOOより存在論的に薄く、単純な不可知論より科学的実在論に強くコミットする、という中間的位置を取る。

5. Coreへの含意

「現在もっとも妥当な存在論」と「絶対的な認識基礎」を分離する。この分離は価値論にもそのまま適用される。客観的価値が最善説明として圧倒的になっても、それが推論的である限り、基礎的規範性と同一視しない。

Sources / notes

OOOの対象とwithdrawalについては Graham HarmanのObject-Oriented Ontologyの議論、Meillassouxについては After Finitude の相関主義批判と偶然性の議論を参照。本ページは両者の包括的解釈ではなく、このプロジェクトの認識論との距離を整理する。