既存価値はなぜ最終基礎にならないのか
1. 否定したいのは「既存価値」ではなく、その無条件の特権化である
このテーゼは、人間の道徳、苦痛への反応、自由・尊厳・公平への要求、社会的信頼、愛着、既存の倫理理論を捨てるよう求めない。現在の価値体系は、何が主体にとって重要に見えるか、どの制度が協力を維持するか、どの経験が価的性質を持つかを示す大量の情報を含む。
問題は、それらを証拠・選好・制度的ルールとして使うことと、宇宙的または主体非依存的な最終価値として扱うことを混同する場合に生じる。
2. 因果的由来と規範的理由は別である
人間がある価値を持つ理由は、進化、神経構造、身体性、養育、言語、文化、制度、権力、歴史的偶然によって部分的に説明できる。これらは「なぜ私たちはXを価値だと感じるのか」に答える。しかし、その説明だけでは「なぜXは、私たちがそう感じることと独立に、従うべき理由なのか」には答えない。
この区別は系譜学を真理破壊装置として使うという意味ではない。ある信念に進化的・文化的起源があることから、その信念が偽だとは導けない。より弱い結論は、起源の説明だけでは正当化が完了しないということである。
3. 反省的承認は強い証拠になりうるが、最終保証ではない
「直観ではなく、十分に情報を得て反省した後にも承認する価値だけを採用すればよい」という応答は重要である。反省的平衡、整合性、他者視点の取り込み、経験的知識は、多くの粗い価値判断を修正できる。
しかし、反省に使う推論規則、注意構造、感情、主体モデル自体も現在の認知アーキテクチャの一部である。反省的承認は認識的重みを大きく増やしうるが、それだけで現在の人間的認知形式を越えた最終的規範性を保証するとは限らない。
4. 道徳実在論が真でも「現在の人間の価値」がそのまま真とは限らない
ここは特に重要である。道徳実在論を採用することは、Coreへの反論にはならない。実在論が主張するのは、少なくとも何らかの道徳的・規範的事実が主体の単なる態度以上の仕方で成立する、ということである。そこからどの第一階理論が正しいかは別問題である。
神学的命令、カント的義務、帰結主義、徳、契約、理由、自然的価値、非自然的規範事実など、実在論と両立しうる基礎づけは複数ある。したがって「実在論者が多い/実在論が有力である」ことを認めても、現在の人権観、苦痛最小化、人格尊重、繁栄、自由などのどれを不可逆に固定すべきかは決まらない。
むしろ実在論が真なら、現在の人類的価値が真の価値から大きくずれている可能性も論理的には残る。実在論は「既存価値を保存せよ」ではなく、「正しい価値についてさらに知るべき対象が存在するかもしれない」という探索理由にもなりうる。
5. 主要な既存基盤を最終基礎にしない理由
神学的基盤
啓示や神命が真なら強い規範基盤になりうる。しかし、その超自然的起源や特定の啓示の権威を、他の世界説明より優先するための認識的根拠が現時点で決定的とは言えない。これは神学的可能性をゼロにする主張ではなく、探索候補の一つとして残すという位置づけである。
義務論・人格基盤
理性、自律、人格を尊重すべきだという原理は強い制度的魅力を持つ。しかし「理性的存在である」という記述的・機能的性質から、「ゆえにそれを目的それ自体として扱うべきだ」という規範的権威へは橋が必要になる。
功利主義・快苦基盤
快苦はとりわけ重要である。苦痛の負の現象性は、価値実在への最も強い候補の一つかもしれない。しかし「苦痛がその主体にとって嫌である」から、「すべての主体の苦痛を主体非依存的に集計し最小化すべきである」までには、対称性・集計・人格間比較・分配など複数の追加原理が必要になる。
社会契約・既存の公共理念
権利、民主主義、法の支配、信頼、自由は、現在の共同探究を支える制度として強く擁護できる。しかしその擁護は、最終的形而上学的価値とは別に、協力・批判可能性・分散性・訂正可能性を維持する条件としても成立する。
6. 価値の不一致は実在論を反証しないが、ロックインには不利な証拠である
文化間・時代間・主体間で価値判断が分かれることだけから、道徳実在論が偽だとは言えない。科学でも事実について長期間の不一致は起きる。しかし、現在の価値が歴史的条件に応じて大きく変わり、同じ主体も追加情報や立場変更によって判断を更新するなら、現時点のスナップショットを永久固定する認識的自信は下げるべきである。
7. 現象的価値は「基礎候補」だが、停止条件ではまだない
既存価値を一括して社会構築物として処理するのも早すぎる。苦痛の嫌さ、欲求充足、意味感覚のように、主体の現れそのものに価的性質が含まれている可能性がある。これは義務論や社会契約よりも認識論的に下層に近い。
しかし、快・不快として現れることと、客観的な規範的拘束性が現れることは区別する。苦痛がその主体にとって嫌であることだけから、主体横断的な普遍性、集計原理、分配原理まで直接には出ない。
したがって現象的価は、客観的価値への最重要の手掛かりの一つでありうるが、現在の形のままでは探索を不可逆に停止する根拠にはしない。もし将来、現象的価とともに規範的拘束性まで最小基礎と同等の強さで与えられると確認されるなら、その評価は変わりうる。
8. 既存価値は「現在の最善実践」として強く使える
最終基礎でないことは、実践で弱くしか使えないことを意味しない。証拠が強い価値判断には強くコミットしてよい。大規模な苦痛、恣意的暴力、欺瞞、信頼破壊、批判不能な権力集中が現存主体と共同探究を壊すことについて十分な証拠があるなら、権利・自由・反暴力規範を強力な制度として採用できる。
ここで区別するのは、実践的採用と形而上学的ロックインである。「当面この価値に従う」ことと、「将来の全主体がこの価値を再考できないようにする」ことの証明責任は同じではない。
9. 実践的コミットメントと不可逆ロックインは別である
推論的最善説明として価値理論への確信が高まれば、資源配分・制度設計・AI行動を強くその理論へ寄せることはありうる。しかしその確信が推論層にある限り、少数の異論、記録、基礎研究、別主体の検討経路まで消す必要はない。
この区別によって、「既存価値を最終基礎にしない」という立場は、倫理的無政府状態や永続的判断保留を意味しなくなる。むしろ現在の最善価値を使いながら、その誤り訂正経路だけを保護する。
最終基礎でないことは、実践で使えないことを意味しない。現在の人間社会では、大規模な苦痛、恣意的暴力、欺瞞、信頼破壊、批判不能な権力集中は、共同探究そのものを壊しやすい。したがって既存の権利・自由・反暴力規範などを、現在の探索基盤を守る暫定的制度ヒューリスティックとして支持することはできる。
また、現在の主体の選好や経験を無視することは、それ自体が探索データの破壊になる。現在の価値を「神聖な最終回答」としてではなく、「いま存在する主体が実際に持つ評価構造」として保存・観察・交渉対象に置く。
10. AIアライメントへの含意
短中期の事故回避や協力のため、AIの行動を現在の人間の要求・制度と一定程度整合させることは正当化されうる。しかし、その現在値を終端的・不可逆に固定することは別の主張である。人間価値が部分的に誤っている、互いに矛盾している、将来の主体や知識によって改訂される可能性を認めるなら、長期的な設計では安全な暫定整合と永久的価値ロックインを区別する必要がある。
11. 何がこのテーゼを弱めるか
- 現在の特定の価値体系が、主体非依存的規範事実と一意に一致することを十分に強く示す証拠が得られること。
- ある第一階倫理理論が、競合理論を排して非循環的に基礎づけられること。
- 反省的承認が、認知アーキテクチャや歴史的条件に依存せず、必然的に同一の価値へ収束することが示されること。
- 探索可能性を残すことより、現行価値の固定の方が一貫して訂正可能性を高めることが示されること。